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和歌山城三の丸跡発掘調査現地説明会 9/28(Fri)

去る922日(土)、和歌山城三の丸跡発掘調査現地説明会が行われました。
これは伏虎中学校の跡地に市民会館と県立医大薬学部建設に伴い、それぞれの土地を所有する和歌山市と県から委託を受けた県文化財センターが、発掘調査の現地説明会を合同で行ったものです。
当日配布されたパンフレットを参照してご紹介します。

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三の丸は藩の公的な施設や上級家臣の屋敷が立ち並んでいた場所です。市民会館建設予定地の内、今回の調査地は渡辺・松平・津田・田宮家の屋敷地でした。松平家と田宮家の屋敷地の高低差は08m、松平家と渡辺家とのそれは05mあり、斜めに高低差のある土地を、屋敷地単位で雛壇状に平坦面を確保していたことが判明しました。

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松平家を例にとると、主屋と見られる礎石列は敷地の西寄りにあり、敷地面積に対してそれほど大きくはない屋敷であったことが伺えます。敷地東側にごみを捨てる場所である土坑群が多数見つかり屋敷地内でゴミを廃棄処理していたことが分かります。

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屋敷地内では竈(かまど)や池のほか、陶磁器類や土器、瓦等が発掘されました。中にはアワビやサザエの貝殻や魚の骨もあり、武家屋敷の食生活をうかがい知ることができます。また、江戸時代の地面の下には、室町時代の畠(はたけ)や水田など、当時の土地の活用状況が分かる遺構も見つかっています。

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県立医大薬学部建設予定地では江戸期の遺構面を更に掘り下げて発掘調査を行いました。

この結果、平安時代前期(910世紀)の遺構から、ハスの花の模様がある蓮華紋軒丸(れんげもんのきまる)瓦が見つかりました。この時代は瓦を使った建物は限られ、役所や寺が当地に存在していた可能性が窺える特筆すべき遺物だとのことでした。


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和歌山城」カテゴリの記事

コメント

のんちゃん こんばんは(*^◯^*)
三の丸現地説明会 知らなかったです。
Sさんに資料頂きましたが、のんちゃんの
説明でより理解できたです。
加判の列の渡辺主水屋敷も調査対象になって
いたのですね。 本当に残念

平安時代まで遡っての調査
凄いですね💕
蓮華紋軒丸瓦 格好いいです。
一帯は湿地帯かなと思っていましたが、
その頃よりもしかしたら 中心地だったかも
ということですかsign02
興味が尽きないですね。
また何かありましたら教えてくださいね


ローズさん、おはようございます~♪

ご存知なかったのですね。
前日に朝日新聞和歌山版で知りました。
情報提供怠り申し訳ないですm(__)m

9,000㎡に及ぶ大規模な発掘現場は圧巻でした。
鷺ノ森遺跡でも2,000㎡でした。

敷地内を掘り返し、掘り返してはゴミ処理をしていたいたのですねhappy01

三之丸現地説明会、知らなかったなあ。
ぜひ、見たかったです。
屋敷によって、高低差があったのも初耳でした。
和歌山城築城400年祭の準備の折に
市史編纂室の三尾先生との話で、三之丸の屋敷跡
のことは聞きましたが、そこまでのお話は
なかったように記憶しています。

古道ウォーカーさん、こんばんは~♪

三の丸は西南方向から北東方向に下っていく斜面になっていたそうです。
元の地面の上に砂丘の砂が吹き溜まったようです。

絵図には表されない地下の様子が分かったのは
発掘調査ならではのことですね。
面白かったですhappy01

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